私が好きになった 理由として1番に挙げられるのはうちの父さんが超好き! ということ。(でも好きなのはコタツに入ってあったまってみる駅伝であって,観に行こうなどとはこれっっぽっちも思わない人。)とうさんは某古豪校出身で愛好心が強い。なぜかわかんないけど。だから物心ついたときから,何となく毎年箱根駅伝は見ていたね〜.

 何にも考えないで観ていた頃のレースのなかで鮮烈に頭の中に残っているのは早大の櫛部選手がふらふらになった場面。「花田が櫛部はまだか,櫛部はまだかと言っています。」という実況をすごく覚えてますわ。

 

小学校低学年
 小学生低学年の頃,家族で1/3に東京タワーに行きました。激コミだった東京タワーからやっと出てくると,沿道にはものすごい人が。何だろうと思っていると,いきなり旗を渡されて「応援してください!」といわれた。しばらく待つと,選手が来た!! すごい歓声だったけど,すごいぴゅ〜っと行っちゃってよくわかんなかった。2分くらい待つと2位の選手が…。確かトップが順大で2位が早大だったと思う。これが私が初めて生で見た駅伝。 今思うと順大4連覇時代だったのかな??
中学校の頃

 中学生のときのこと。11月ごろに席替えがありました。これが運命の席替えだったかも。隣になった男の子F君(別につきあったりしたとかじゃないけど)は陸上部で長距離をやってた。もうやめちゃってるみたいだけど。その子もかなり駅伝好きみたいで,私にすごい熱く語ってくれた。はじめはへぇ〜って感じ。私も一応毎年見てるから会話が成立したことに彼はうれしかったらしく12月とかほとんどその話だったかも。 「オレは毎年ビデオ撮ってんだぜ!」と誇らしげに言われたけど,私は「えっ,ビデオ??」と正直思った。

 年は明けて,いざ箱根。F君はビデオを撮って観ているんだろうなぁなんて思いながら観ていた。この年は71回大会。渡辺康幸選手が記録を更新して2,3,4区と早大が区間新を連発した年。私はそのシーンに圧倒され,すごい!!と思った。あの時の感動は忘れられない。なんだかよくわからないけど,すごい!!と心から思い,興奮がおさまらなかった。5区を走った小林修選手が2位につめられているという実況を聞いて,思わず「頑張れ!頑張れ!」と叫んでいたのを覚えている。結局山梨が優勝したけど,私の中ではこのとき目覚めてしまった…。新学期になると,F君に対してまず言った言葉は,「ビデオ貸して!」だ。それからはダビングしたりして,いろいろ頑張った。雑誌の存在も知らなかったから,F君に借りて読み込んだ。どうしても欲しい記事はカラーコピー。この頃はコンビニにそんなものはなくて,文具店にまで行って1枚500円も払ってコピーしたなあ。

 これから1年余り。F君とはほとんど陸上話をしていましたね。彼も話に乗ってくれる人がいてうれしかったみたい。

中3の時
 中3の時の3学期。受験が近づいて,気がめいっていた頃,教育実習生として箱根を走った“安永選手”がいらっしゃった。私とF君はそれを聞きつけ,昼休みに何回か職員室に足を運んでいたな。私たちの行動に対して,安永先生は結構ビックリしてたけど,「今年の箱根見ました」というと喜んでくれた。私たちもうれしい限りだったな。普段はクールな感じなF君だけど,このときは目が輝いていた。本当に好きなんだな,と思った。私も安永先生にサインをしてもらった色紙は宝物にした。受験がすごい不安だったけど,当日もその色紙を持参して,頑張った。すごい励みになったな。おかげで受かるかどうか微妙だった第1希望に合格!! 安永先生ありがとう!!
 中学を卒業すると,私はいつでも箱根を見に行けるように,全部の中継点の下見に行った。確か高校入学前の春休み。大手町は飛ばして,鶴見/平塚/小田原。戸塚は駅から遠すぎるため(?)断念。すごい疲れたけど,なかなかいい思い出に。初めて京急に乗ったりして,楽しかったな。でも京急がわかんなくて京浜東北線とかに乗って自分でも分けわかんなくなってたな。でもおかげで電車がいろいろ覚えられた。小田原では鈴広でかまぼこ買った!! お金なかったから1200円のかまぼこ1個だけだけど。
高校の頃
 高1の時,すごい好きな選手がいた。早稲田の小林雅幸選手。4年生で最後の箱根だったから,絶対見に行く!!と心に決めていた。去年に引き続き,補欠から山登りになるだろうと勝手に予想して,1/2に朝早く,小田原に向かった。ところがどっこい!! 電車の中でTVの音を聞いていると,「なっなに〜!!」というような出来事が…。なんと小林選手がエントリーしていないだと〜!? もうショックのあまり頭がおかしくなった。もう現実が信じられなくて,本当に悲しくなったわ。急きょ予定を変更して,鶴見に向かった。京急に乗っていると,もう並行して選手が走っているのが観えた。(ワチーラ選手だったのですぐわかった)かろうじて選手を抜かすと,急いで中継所へ。鶴見は駅から近いのでなんとかなった。(あの時下見に行っておいてよかった)でももうすごい人。しかもついてまもなく選手が来たな。選手は対抗車線を走っていて,あんまりよく見えなかった。でも早大が1位で通過したのが見えて,ちょっとびっくり!! この日は本当に風が強くて,家に帰れるか心配だったわ。それにしてもこの日はショックが大きくて放心状態。マジ泣けてきました。
高2の時

 私の高校では,それぞれが自由なテーマでレポートを書くというのがあった。原稿用紙50枚以上!! 私は迷うことなく「箱根駅伝」にした。このレポートはいやいやでなく,結構楽しんで取り組めた。体育の先生が,順大で陸上部だった人で(本人いわく,大砲と呼ばれつづけたが,打たれないで終わった。といっていたけど…?)昔の雑誌などを貸してくれたり,いろいろな話を聞かせてくれたりと,とても役に立った。

 そいで夏休みに,うちの父さんが,「せっかく調べるんだったら,全部コースを車で通ってやる」といってくれて,朝の4時ぐらいに家を出て,大手町から回った。鶴見を見たあと,なんか道を間違えてしまって,戸塚の中継所にいけなかった。そのあとどうにか湘南海岸線に行ったけど,私としては心残り。でも私ってば,その5日後ぐらいに,居てもたってもいられず,実際に自分の足で歩きに行っちゃった! 平塚駅で降りて,戸塚まで。なかなかコースにたどり着けなくて,迷ったけど,なんとか湘南大橋についてから,ずっと歩きました。本当に暑くて死にそうだった。脱水症状になりそうだった。7本くらい缶ジュース買ったと思う。たった1区間だけど,5時間くらいかかっちゃった。いわゆる8区を歩いたわけです。1番恐かったのは湘南大橋。歩くとこがなくて,トラックにひかれそうになるわ,海に落ちそうになるわ,魚は死んでるわ…。とにかく焼けた1日でした。

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